原典
キレてないですよ!オレをキレさせたら大したもんだ
 当時、東京ドームの観客動員記録を塗り替えた1995.10.9新日本プロレスvsUWFインターナショナルの全面対抗戦。その副将戦としてUインターの業師・安生洋二と対戦した長州力の名言である。戦前にさんざん舌戦を繰り広げた末の快勝に対して、「キレてないですか?」とのリポーターからの問いかけに
「キレてないですよ!オレをキレさせたら大したもんだ」
と長州は応えた。
 数年後、お笑い芸人・長州小力のモノマネでこのセリフは大ブレイク。プロレスファンだけでなく、一般人も知るところとなったのである。
 撮影地や駅で騒いでトラブルを起こすバカ鉄どもに注意して逆切れされたら、超ブチ切れモードで凄み返してやるべきである。
「キレてないですよ!オレをキレさせたら大したもんだ」


撮り鉄のみなさん、目を覚ましてくださぁ〜い!
 十年に一度あるかないかの大乱闘となった1999.1.4東京ドームでの小川直也vs橋本真也の一戦。試合がノーコンテストに終わった時、小川がマイクを掴んで言い放った。
「新日本プロレスのファンのみなさん、目を覚ましてくださぁ〜い!」
総合格闘技大ブレイク数年前の当時、すでに崩壊の予兆があった新日本プロレスのヌルい試合に目を覚ませ!とばかりに発せられたマイクアピールは、この年、プロレスファンの間で一番の流行語となった。
 パチ撮りネタ系ゴミ写真ばかりがもてはやされる昨今、RM全盛期にインスパイアを受けた世代として声を大にして言いたい。
「撮り鉄のみなさん、目を覚ましてくださぁ〜い!」


やってやるって!風吹かすってことですよ!
 古くは人間サンドバック、ド演歌ファイター、サムライ、平成維震軍大将、さまざまな名を持つ愛すべき我らが越中詩郎。じつは我々と同じ鉄道ファンでもある。苦節二十数年、お笑い芸人ケンドー・コバヤシのモノマネによってブレイクを果たした越中の必殺技は何と”ケツ”!序盤はケツでのジャブから、定番、ロープに振ってのジャンピングヒップアタック、そして大技、トップロープからのダイビングヒップアタックにエプロンからのランニングヒップアタック。ケツを使わせたら越中にかなうものはいない。そんな大人気の越中といえば「やるって節」。興奮すると言葉の語尾に「〜やるって!」と付け加えてしまうのが特徴である。
「インターネットに氾濫する駄作系撮り鉄ホームページはブッ潰すって!やってやるって!撮り鉄系HPに風吹かすってことですよ!


こぉれがオマエの撮り方か?
 1999.1.4東京ドーム、事件は起きた。小川直也vs橋本真也の第3ラウンドで小川が暴走。橋本に対して半ガチを仕掛け撲殺、試合後のリング上では病院送りも出るほどの大乱闘が勃発したのである。そして、乱闘開始から数分後、最も注目が集まる一番オイシイ時間帯に御大はやってきた。当時、新日本プロレスの現場監督を務めていた長州力。景気付けにリングサイドのカメラマンにストンピングをかまし、小川ににじり寄る長州。そして、小川の頬を張って言い放った。
「こぉれがオマエのやり方か?」
 撮り鉄にも時には一線を越えることが必要である。「こぉれがオマエの撮り方か?」写真を見た人間にこう言わせたら勝ちである。


鉄は歩みを止め、撮り鉄を忘れたときに老いていく
 1997〜2000年にかけて、我われプロレスファンを熱くさせた小川直也vs橋本真也の命を賭けた激闘。その第4ラウンドは1999.10.11東京ドームで行われた。前戦1999.1.4では暴走した小川に20年に一度クラスの大乱闘。その興奮冷めやらぬ中での再戦であった。
 その夜、突如としてアントニオ猪木がリングアナを務めた。これはその前口上である。
「人は歩みを止め、闘いを忘れたときに老いていく。今こそ格闘ロマンの道を突き進め!」
 鉄も何らかの理由で撮り鉄を忘れることがある。進学、就業、結婚などなど。しかし、いざ復帰してみると、「あの時、撮っておけば・・・」の後悔あるのみ。私も撮り鉄になって20数年、途中ブランクもあったが、ここへ来て出撃頻度は過去最高。行くところまで行くしかねえ!


やれんのか?やれんのか?やれんのか?
 試合前の選手紹介映像。これを我われ格闘技ファンは煽り(あおり)VTRと呼ぶ。この煽りVTR作成の第一人者が元フジテレビディレクター・佐藤大輔氏と声優・立木文彦氏(アサヒスーパードライのあの渋い声)の名コンビ。VTRの中で彼は言う。
「やれんのか?やれんのか?やれんのか?」
 文意は、魂のこもった試合ができるのか?これに対する答えはだた一つ。「やる!」
決戦前夜、出撃を渋る相棒に決断を迫れ!やれんのか?


時は来た!それだけだ!
 今は亡き破壊王・橋本真也の最大にして最高の名言である。猪木、坂口組と戦った1990.2.10東京ドーム。試合前のインタビューに答えた橋本は年寄りに引導を渡す!とばかりに言い切った。
「時は来た!それだけだ!」
これを後ろで聞いていたタッグパートナー蝶野正洋が笑いを押し殺していた姿も今となっては伝説である。
 待望のゴールデンウィーク。時は来た!それだけだ!


リアル撮り鉄にはギブアップなどない!
 格闘技界でPRIDEと人気、勢力を二分するK-1。その名キャッチコピーがコレである。
「K-1にギブアップなどない!」
これはライバル団体PRIDEを痛烈に皮肉ったものである。PRIDEでの極まり手は関節技や絞め技であることが多い。この場合、選手はギブアップをすることができる。これに対してK-1では打撃による失神KOで決着が着く。この両団体、今は非常に仲が悪いのである。
 我々、リアル撮り鉄にはギブアップなどない!しかし、秒殺KO負けはしょっちゅうである。


「なぁにがやりたいんだ、コラァ!誌面飾って、コラァ!」「何がコラじゃ、コラァ!」「何コラ、タココラァ!」
 我々プロレスファンの間では伝説の語り草となっている長州力と橋本真也のコラコラ問答。長州軍を根絶やしにする!と発言した橋本に対して、長州自ら橋本の道場に乱入したのが事の発端である。
 長州 「なぁにがやりたいんだ、コラァ!誌面飾って、コラァ!」
 橋本 「何がコラじゃ、コラァ!」
 長州 「何コラ、タココラァ!」

以下、コラコラが十数回繰り返される。コラァ!とやられて、コラァ!と返してしまう愛すべき橋本真也。ファンタジーである。
 連れがショッパイ(=ショボイの意、プロレス用語)写真で鉄ファンやRMの誌面を飾ってしまったとき、やっかみを込めて言うべきである。
「なぁにがやりたいんだ、コラァ!誌面飾って、コラァ!」


撮る前から負けること考えるバカあるかよ!ビシッ!(ビンタの音)
 1989年にプロレス・格闘技団体として初めて東京ドームで興行を打った新日本プロレス。その2回目の東京ドーム興行となる「'90 スーパーファイト in 闘強導夢」で歴史的名言が生まれた。当日のメインイベントはアントニオ猪木、坂口征二vs橋本真也、蝶野正洋。当時、若手期待の星であった橋本、蝶野が猪木に挑む、これがこの試合のテーマであった。
 試合前のドレッシングルーム、猪木にインタビューを切り出すテレ朝・佐々木正洋アナ。
「もし、試合に負ければ引退も?」
この問いに対する返答が
「やる前から負けること考えるバカあるかよ!出て行け、コラ!」
そして、強烈なビンタ一発であった。
 晴れはありえないドン曇りの撮影日。「今日はダメかも・・・」と弱音を吐く相棒にこのフレーズとビンタを一発お見舞いしてやってほしい。


この道を行けばどうなるものか?危ぶむなかれ。危ぶめばVはなし。行けば撮れるさ、アリガトーーッ!
 1998.4.4東京ドームで38年にもおよぶ現役生活を引退したアントニオ猪木。その猪木が最後に残したのがこの詩である。
この道を行けばどうなるものか?危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ、アリガトーーッ!
 初めての撮影地に行ってこの先進むかどうか迷ったときは、ぜひこの詩を思い出して欲しい。この道を行けば行く手には行き止まり、駐車場所なし、Uターン不可、ガケ、絶壁、危険生物などが待ち受けているかも知れない。しかし、1コマのVを仕留めるためには進むしかないのである。よい子のみんなには真似できない「行っちゃう?」といったノリと行動力こそが達人(≒キ○ガイ)への第一歩なのである。
 ただし、何かあっても私は知ったこっちゃねえので、その辺は各自の判断でよろしく!


400戦多敗か? 最狂か?
 1997.10.11東京ドーム、格闘技史に残る伝説の興行が開催された。現在までに60回以上の大会が開催されているPRIDEの第1回大会「PRIDE.1」である。メインイベントは400戦無敗の格闘家ヒクソン・グレイシーvs最強のプロレスラー高田延彦。この一戦のキャッチコピーが「400戦無敗か? 最強か?」結果はヒクソンの圧勝。敗れた高田はA級戦犯と非難を浴びせられたであった。しかし、この一戦を機に総合格闘技が発展した功績は計り知れない。
 当然、私も東京ドームで生観戦していた。ここからパクらせていただいたのが自称400戦多敗。さて、最狂の撮り鉄はいったい誰なのであろうか?

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